厳しい風土と豊かな漁業資源、
先人の知恵が生んだ保存食
魚のぬか漬け「へしこ」は、北陸から山陰の東部で作られている伝統的な発酵食品です。
その歴史は古く、江戸時代の中頃にはすでに「へしこ」作りが盛んに始まっていたと言われています。
冷蔵や輸送技術が未発達であった江戸時代の日本では、食料の長期保存に関する技術が重要であり、塩漬けや発酵などの方法が用いられました。
その中で、若狭地方や越前海岸沿岸では、昔から魚の内臓を取り除いて塩漬けし、さらにぬか漬けすることで、腐らせずに長期保存する方法が用いられていました。冬は積雪が多く寒さが厳しい上に、日本海の荒波で、昔の小型漁船では漁場に出られない日が多く、食料の確保は困難でした。そんなとき、「へしこ」は貴重な動物性タンパク質の供給源として、地域の人々にとって重要な役割を果たしていたのです。
「へしこ」という一風変わった名称の語源は諸説ありますが、魚を樽に押し込むことを若狭地方の方言で「へしこむ(圧し込む)」と言ったことからというのが有力とされています。
都の朝廷・皇室をも支えた
さば食文化とともに発展
ここ美浜町は、若狭湾に面しており沿岸漁業や養殖漁業が営まれています。若狭湾は入り江と湾が複雑に入り込んだリアス式海岸です。そのため魚介類が豊富で、若狭湾だけで約75種類もの魚が獲れます。また、かつて日本でも有数のサバ漁場だった若狭湾では、1980年代前半まではサバが溢れるほど獲れました。そして、戦国時代から江戸時代(1600-1800年後半)にかけ、若狭湾で獲れたサバを中心とした魚介類を京都まで運んだ道が「鯖街道」と呼ばれています。
「へしこ」の対象魚は、いわし、さばなど10数種類に及びますが、こうした背景から、ここ若狭地方では最も生産量が多いのが「サバのへしこ」となっています。
美浜町以西で作られ続け、
食され続けてきた特色ある味
なお、食品をぬかで漬けるという保存法の歴史は古く、奈良時代にまで遡れます。今も日本各地に郷土食として伝承され、福井県に隣接する石川県でも「こんか漬け」(『小糠漬け』が転じたと思われる)という魚のぬか漬けが伝わっており、「へしこ」と同一視されることもあります。しかし、厳密にはこの二つは製造法も風味も異なり、別々の伝承保存食というべきでしょう。
美浜町のへしこの旨さの秘密は、伝統的な「二段漬け」製法にあります。脂ののったサバを塩漬けした後いったん取り出し、「シエ」と呼ばれる塩漬けでできた魚の旨味の詰まった液と米ぬか、そして、しょうゆと酒粕やみりんなど美浜町独自の味付けを施し、約1年の長期にわたって漬け込み熟成させることで、保存性の高さと香り豊かで奥深い旨味を備えた味が生まれています。
また、同じ福井県でも美浜町に隣接する敦賀地方では、「へしこ」はあまり作られたり食べられたりしてこなかったという証言もあります。現在の福井県は福井市を中心とする「嶺北」と敦賀市のある「嶺南」に分けられますが、明治以前の旧国名では敦賀は「越前国」に含まれるためと思われます。
これらのことから、「へしこ」は「若狭国(わかさのくに)」、現在の行政区分で言うと美浜町以西で、独自に発展し伝承されてきた保存食文化であると考えられています。
“御食国”若狭を代表する
特色ある魚食文化を次世代に
美浜町が属する若狭地方は、古代より都の朝廷へ海水産物などの食料を貢物として送った「御食国(みけつくに)」です。2015年4月24日、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群ー御食国(みけつくに)若狭と鯖街道ー」が日本遺産に認定されました。「へしこ」もその構成文化財の一つ、未来へ伝承すべき貴重な食文化として再評価が進んでいます。